以前、日本のグローバル化の議論は「送り出す」ことに集中しており、海外に出た人材が戻ってくるところまでを含めた制度設計になっていない、という論点を書いた(日本のグローバル化に欠けている「人材還流」という視点)。
書き終えたあとに残ったのは、次の問いだった。
では、自国民が大量に海外で暮らしている国は、これをどう扱っているのか。
調べてみて最も示唆的だったのがインドである。シリコンバレーで働いていれば、インド出身の同僚、経営者、投資家との接点は日常的にある。そのまま米国に定住する人もいれば、10年、20年を経て本国に戻る人もいる。その両方が当たり前に存在する前提で、インドは制度を組み立てている。
本稿は、インドの仕組みを紹介することが目的ではない。「人材還流を制度として設計するとはどういうことか」の実例として読んでいただきたい。
まず、規模を確認する
インドがここまで制度を整えてきた背景には、動かしがたい数字がある。
インド外務省の集計によれば、海外に暮らすインド系の人々は約3,728万人(2026年1月時点)。内訳は、インド国籍のまま海外に住むNRIが約1,776万人、インド系人・OCI保有者が約1,952万人である。
そして世界銀行によれば、2024年にインドが受け取った海外送金は約1,290億ドルで、世界第1位。2位のメキシコ(680億ドル)のほぼ倍にあたる。送金額はインドのGDPの3〜4%を占め、この水準は1999年度以降続いている。
さらに視野を広げると、世界銀行は2024年の低・中所得国向け送金総額を6,850億ドルと推計しており、これは海外直接投資(FDI)と政府開発援助(ODA)の合計を上回る。過去10年でFDIが41%減少する一方、送金は57%増えた。
つまりインドにとって、海外に出た国民との関係は「情緒的なつながり」ではなく、国際収支に直結する経済インフラである。制度が発達したのは必然だった。
「海外にいる自国民」が制度上のカテゴリーになっている
インドには NRI(Non-Resident Indian) という区分がある。海外に居住するインド国籍者を指す、行政上の正式なカテゴリーだ。
これに紐づく形で、銀行には海外在住者向けの口座が用意されている。
- NRE(Non-Resident External)口座 — 主に海外で得た資金をインドで管理するための外貨建て由来の口座
- NRO(Non-Resident Ordinary)口座 — インド国内で生じた収入などを管理するための口座
重要なのはその先である。帰国して居住者になった場合、NRO口座を通常の居住者口座へ切り替えたり、NRE口座を居住者口座や RFC(Resident Foreign Currency)口座 という外貨保有口座へ移行したりする道筋が、あらかじめ用意されている。
海外へ出る → 海外で暮らす → 本国へ戻る

この一連の動きそのものが、制度の中に構造として組み込まれている。帰国者が「自分のケースはどう扱われるのか」を一から確認しなければならない状態とは、出発点が違う。
先の記事で、帰国を検討する人が最初に直面するのは「何を調べればよいのか分からない」という状態だと書いた。カテゴリーが定義されているということは、その問いに最初から答えがあるということでもある。
帰国を「断崖」にしない仕組み
インドの制度で最も参考になると感じたのは、税務上の扱いである。
インドには RNOR(Resident but Not Ordinarily Resident) という区分がある。長く海外に住んでいた人がインドに戻った場合、一定の条件を満たせば、いきなり通常の居住者と同じ扱いにはならない。海外所得に対する課税範囲が、通常の居住者より限定される。
判定は毎年の居住実態(直前10年のうち何年が非居住者だったか、直前7年の滞在日数など)に基づいて行われるため、「何年間」と固定された制度ではない。だが結果として、長期の海外居住者が帰国した直後には、国内税制へ移行するための緩衝期間が生じる。
帰国した瞬間にすべてを国内基準へ切り替えろ、とは必ずしもならない。移行のためのクッションが、制度の側に用意されている。

日本にも同じ道具はある。ただし帰国者は使えない
ここで、日本側を正確に見ておきたい。
日本の所得税法は個人を「非居住者」「非永住者」「それ以外の居住者」の3つに分けている。このうち非永住者は、国外で生じた所得については、日本国内で支払われたものと日本へ送金されたものだけが課税対象となる。考え方としてはRNORに近い。
問題はその定義である。
居住者のうち日本国籍がなく、かつ、過去10年以内において日本国内に住所または居所を有していた期間の合計が5年以下である個人 (国税庁 タックスアンサー No.2010)
日本国籍がないことが要件に入っている。
したがって、海外から日本に来た外国人には最大5年の緩衝期間がある一方、海外に長く住んでいた日本人が帰国した場合、この区分には該当しない。国税庁も帰国者について「国内源泉所得に限らず、すべての所得が課税の対象となります」と明記している(No.1935)。段階はない。
海外に住んでいる間は、日本人も非居住者であり、国外所得に日本の課税は及ばない。ここは外国人と変わらない。変わるのは戻ってきたときである。
日本にクッションがなかったわけではない。ただ、帰ってくる日本人だけが、その対象から外れている。先の記事で述べた「制度は国内で人生が完結する人を基準に最適化されたまま残る」という構造が、条文の水準で確認できる例だといえる。
本稿は個別の税務上の助言を目的とするものではない。実際の取り扱いは個々の状況により異なるため、専門家への確認が必要となる。
国籍が変わっても、関係を終わらせない
もう一つ、制度設計として示唆的なのが OCI(Overseas Citizen of India) である。
インドも日本と同様、原則として二重国籍を認めていない。外国籍を取得すればインド国籍は維持できない。ここまでは日本と同じだ。
異なるのはその先である。元インド国籍者やその子孫などを対象とするOCIでは、生涯有効の複数回入国資格が与えられ、インドでの長期滞在も可能になる。
ただし、OCIはインド国籍そのものではない。インド外務省も明確に「二重国籍ではない」としており、選挙権はなく、公職への就任、憲法上の要職への就任、農地の取得なども認められていない。権利としては、国籍とは明確に線が引かれている。
それでも設計思想は明快だ。国籍が変わることと、その国との関係が終わることを、同じ扱いにしていない。
これは日本にとって示唆的だと思う。米国に長く住んでいると、仕事、家族、生活上の理由から現地国籍を取得する場面は珍しくない。一方で、日本国籍を手放すかどうかを何年も判断できずにいる人を数多く見てきた。日本が嫌で海外にいるのではなく、むしろ日本との関係を残したいと考えている人ほど、その判断が重くなる。
これを個人の心情の問題として片づけると、本質を見誤る。日本にとっての論点は、海外で経験、資本、ネットワークを蓄積した人材との関係が、国籍の選択によって一律に切断される設計になっているという点にある。先の記事で書いたとおり、戻らない人材とともに戻らないのは、資本であり、知識であり、関係資本である。
なぜインドはここまでやるのか
もちろん、インドにはインド固有の事情がある。
この30年、インドはIT産業を中心に急速に成長した。シリコンバレーを見ても、Googleのスンダー・ピチャイ、Microsoftのサティア・ナデラ、IBMのアービンド・クリシュナなど、主要テック企業の経営を担うインド出身者は珍しくなくなった。海外のインド系コミュニティは規模が大きく、送金、投資、人材ネットワークのいずれもインド経済にとって重要な要素である。
だからこそ、海外へ出る人、海外に残る人、戻ってくる人、さらには外国籍を選ぶ人まで含めて、国とのつながりをどう維持するかを制度として考える必要があった。
この構図は、先の記事で述べた構造の裏返しである。日本は国内市場が大きく、国内だけで職業人生と生活を完結させることが可能だった。それは強みであると同時に、越境することを前提とした制度設計を後回しにできた理由でもある。インドにはその選択肢が、最初からなかった。
日本にとっての実務的な含意
インドと日本では規模も事情も異なる。海外在留邦人は約129万人(外務省・2024年10月1日現在)で、インドの3,728万人とは二桁近い開きがある。RNORやOCIをそのまま導入すればよい、という話ではない。
だが、日本側の数字の中身を見ると、無視できない変化が起きている。
同じ調査で、在留邦人のうち永住者は58万384人、長期滞在者は71万2,713人である。総数はほぼ横ばいで推移する一方、永住者は前年比1.0%増と2年連続で増加し、長期滞在者は減少している。
これが意味するところは明確だ。日本人の海外在住者の構成が、任期を区切って戻る「駐在員型」から、現地に生活基盤を持つ「定住型」へと移りつつある。 そして定住型こそ、日本の制度が想定してこなかった層である。
先の記事で、日本企業の海外駐在は3〜5年のローテーションが一般的で、個人が長期的に現地へ根を張るキャリアとは性格が異なると書いた。数字を見る限り、その駐在員型は縮小し、制度の外側にいる層が増えている。
ここから導かれる論点は3つある。
1. 対象者は減らない
海外に生活基盤と資産を持つ日本人は、今後さらに珍しくなくなる。例外的な少数として扱い続ける限り、制度も実務も対応が後手に回る。
2. 移行期間の設計が要る
現実の帰国は、ある日を境に切り替わるものではない。試行滞在、二拠点、段階的な事業移転といった移行期間が必要になる。インドがRNORで用意しているのは、まさにこの緩衝である。
3. 関係の維持は、帰国とは別の論点である
戻らない人材との関係をどう保つかは、帰国の議論とは切り離して考えられる。OCIが示しているのはその点だ。全員が戻る必要はない。戻らない人が日本との接点を持ち続けられれば、投資、事業提携、人材紹介といった形で還流は起こりうる。
送り出したあとの設計
「若者はもっと海外に出るべきだ」「グローバル人材を育てよう」という議論には、私も賛成である。
ただ、実際に海外で長く活躍すれば、その人の人生は日本国内だけでは完結しなくなる。海外で働き、家族を持ち、資産を形成し、場合によっては国籍の選択にまで直面する。そしていつか日本に戻ろうと考えるかもしれないし、戻らなくても日本と関わり続けたいと考えるかもしれない。
先の記事で、グローバル化は一方通行ではないと書いた。インドの制度を見て、これは帰国だけの話ではないと考えを改めた。
海外に出ても日本とのつながりを維持できること。戻りたいときに戻りやすいこと。この二つは、どちらも同じ問いの一部である。送り出したあと、その人と国との関係をどう設計するか。
海外に人材を送り出す政策と同じ重みで、送り出したあとの制度を考える。それが、日本の次のグローバル化に必要な視点だと考えている。
参考
- インド外務省 Population of Overseas Indians / Overseas Citizenship of India Scheme
- インド所得税局 Non-Resident(居住区分とRNOR)
- World Bank Remittance flows to low- and middle-income countries, 2024
- 国税庁 No.2010 納税義務者となる個人 / No.1935 海外勤務者が帰国したときの確定申告
- 外務省 海外在留邦人数調査統計(令和6年)
藤本真也|Silicon Valley Japan Lab Founder / Chief Strategist
米国在住25年以上。エンジニアと経営者の経験をもとに、シリコンバレーの技術動向を日本企業の経営や事業開発にどう生かすかという視点から発信している。

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